2009年06月06日

言葉の伝わり方

言葉は子供の成長過程の初期に、親や兄弟たちから学びますね。

父親である僕には理解できない「あー」「うー」と言葉にならない状態でも、母親は伝えたい意味を理解できます。

それが発達するにつれて「まんま」や「ママ」などの言葉を発するようになってきますが、当然文章を組み立てるのではなく、対象となるものを要求している言葉から覚えるように思います。

共通言語を使うことによって、母親だけでなく兄弟や父親、他人にも理解できるわけです。その言葉には「誰に理解してもらいたいのか?」が付きまといます。

日本人に伝えたいなら日本語を使いますが、共通言語としてではなく自分の言葉として扱った場合、その言葉の真意がわからなくなることがあります。

他人の言葉を借りているだけでは言葉や文字に違和感がありますが、自分なりに解釈された言葉も他人には伝わらないことがあります。

子供が大人の話している言葉がわからないように“次元性の違い”により解釈ができないこともあるでしょうが、自分なりの言葉というのは「誰に伝えたいのか?」が明確になっていないため、抽象的で意味不明な言葉になっているケースがあります。

ダンサーの言葉を読む機会があったのですが、ダンスとは非常に抽象的な表現であるがために、理解してもらうための言葉が明確で言葉の多様性に富んでいたのが印象的でした。

10歳近くも歳が離れているのに、おっさんである僕には発することのできない言葉を使われ、その言葉が僕の心を揺れ動かしてくれる力を持っていました。僕には感性を言語化できないのではなく、感性そのものが欠如していることに気付かされました。

「身体と向き合うことが浅い次元にいるのだ」という自覚を芽生えさせてくれたので、世界観が広がるのではないかという期待があります。

言葉はこういう使い方をしたいものです。



posted by 魂はパーソナルトレーナー(山崎真吾) at 23:01| ◆伝えたいこと 【全般】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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